かたたま

ここがこの場所が私の玉があった場所よ

大きな怪我や病気をしたことがある人は、人に優しくなれる

術後の痛みや発熱で、ここ二日は何も書く気が起きなかったが、今はようやく治まって、前回のブログが誰にも読まれなかったことに悲しみを覚えながら、こうしてなにかを書こうとしている。

 

というわけで、キンタマを取った。その嘆きよりも痛みのほうが今は強く、実感するより実際痛い。シグルイで藤木が片腕を失った際、バランスが取れずに転倒するシーンがあるが、片方の玉を失った私はどうなるのだろうか。

人体の不思議な現象のひとつに、幻肢痛というものがある。失ってしまった四肢が未だあるように感じ、ひどい痛みととみに現れるという。私にこれが起こるとしたら、幻玉痛とでも呼ぶべきだろうか。その痛みはげん玉ポイントを集めることでしか解消できない。資本主義のクソッタレめ。すべてのゲーマーが、メタルギアを永遠に失った痛みもまた、癒されることはない。

 

大きな怪我や病気をしたことがある人は、人に優しくなれると、よく聞く。今私は男性としての象徴の片割れを失い、アイデンティティークライシスの真っ最中であり、まあまあ大きな病気をしていると言える。けれども、全く優しくなれない。

とにかく、イビキがうるさい。泌尿器科の病棟というのはほとんどがじい様ばあ様の糖尿病患者であり、若い人マジレアだよーと看護師さんに言われた。そしてじい様とはイビキをかく生物であり、同室で私だけがイビキをかかない。三方をイビキに囲まれ、高熱と痛みにさいなまれながら、眠りにつく。いや、寝れない。私が何をしたというのだろうか。10年前ガンパレードマーチを借りたまま返してないことへの罰だろうか。かなり重い罪だ。がんになるのもしかたがない。罪はいつか償わなければならないが、それはそれとしてイビキは許せない。途中で息が止まってるのにすら腹が立つ。

 

だから、大きな怪我や病気をしたことがある人は、人に優しくなれるというのは真っ赤な嘘か、あるいは自分は生来のクズであり、人を許すことができない狭量な人間であるかのどちらかであろう。恐らくは後者であり、そしてまた私は、自分が人に愛されない理由を知った。